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法事で兄弟は久しぶりに再会するところからこの映画はスタートするのだがそのシーンでの兄弟の会話は俺には非常に薄っぺらく感じた。親ともうまくいかない弟のタケルは兄貴にだけは何でも話せて心を開いているように見えるが私にはそうは思えなかった。そして一見弟思いに見える兄もそうだ。二人の間には壁はあり、話していること、見せている表情、その全てが上っ面のように思えてしまったのだ。そういう演技をこの二人はわざとやったのだろうか?
兄はずっと自由に生きる弟にいろんな思いを溜めて生きてきたんだろう。それでも弟に幸せに生きてほしいという思いがあるから自分が犠牲になってきたんだろう。
そういう思いが爆発する。捕まった兄に弟が面会に来たシーンだ。言い合いになる二人。初めて本音で会話をする。ぶちまける兄。これまでは上っ面の関係で保ってきたものが壊れた瞬間。揺れる映像。直後の裁判で弟は証人として本当に兄弟の関係をぶち壊してしまう。兄は何を思ってそうしたんだろうか。
兄は自分を犠牲にしても弟に幸せになってほしかった。自分が好きだった女性を弟に譲っても、だ。裁判で「そうだったんですか…」と呟き謝り出す兄。弟と女がそういう関係だったことは“酒好きの嘘”で分かっていたはずだからあれは弟に謝ったのだろう。そして弟をかばったのだろう。
その兄を弟は否定してしまう。
その弟を兄は否定しない。
時は流れ弟はついに我を取り戻す。「兄ちゃん!!」と叫ぶラストシーン。人生を狂わされた兄の笑顔。あぁこの人はそれでも弟を許すのだろう。
兄弟なんて最も近くにいて最も近づけない関係であろう。面会のように壁1枚が間にある、それが兄弟なんだ。だからすぐ壊れてしまう。一言で壊れてしまう。しかしそれでいいのだ。それがために見えない絆もあるのだ。おそらく兄は弟のことを全て分かっていた。だから彼は一言も文句を言わず受け入れたのだろう。
いくつのも解釈がありそうな映画だ。俺と全く違う感想を持つ人もいるだろう。しかしいろいろなややこしい思いは弟が自分を取り戻した子供の頃の映像で全て解決できる。純粋な気持ちを忘れないことが大切なのだ。これだけは共通の見解だろう。哀しい映画ではあるがラストに一筋の希望の光としてその大切さを示す名作。少なくとも俺の心には訴えかけてくるものがあった。
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